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◇小河内(おごうち)ダム

 

 以下は町誌および現地の説明板から大まかな沿革をまとめたもの。

 大正15.3  東京市会において、「将来大東京実現の場合を予想し東京市上水道事業、百年の長計を樹てられたし」との希望条件を可決
 昭和7.7.13  東京市第二水道拡張計画案、東京市会にて可決
 昭和7.8.12  東京市第二水道拡張事業、認可申請
 昭和7.9.1  東京府土木部長より小河内村長に対し、「東京市第二水道拡張事業施行について」を照会
 昭和7.10.28  東京府土木部長の諮問に対し村会を開会。賛成の意思を表示する答申文を議決
 昭和11.7.23  東京市第二水道拡張事業認可
 昭和11.7.29  小河内貯水池建設事務所開設
 昭和13.2.28  小河内村長、衆議院へ「村民の窮状を訴える」請願書を提出。満場一致で採決され、東京市の善処を要望
 昭和13.6.6  小河内村と東京市の交渉が成立。覚書を取り交わす
 昭和13.10.28  内務大臣より「小河内貯水池実施設計」認可。用地買収および準備工事に着手
 昭和13.11.12  起工式・地鎮祭挙行
 昭和15.3  仮排水路工事完成
 昭和17.9.22  残存区域であった岫沢日指の移転が決定
 昭和18.3  ダムコンクリート打設準備完了
 昭和18.10.5  太平洋戦争激化のため工事中断
 昭和23.4  工事再開を都議会で議決
 昭和23.9.10  工事再開
 昭和26.8.17  都代表者と村代表者との調印が行われる
 昭和26.9.16  小河内村解村式挙行

 昭和28.3.19

 コンクリート打設開始
 昭和28.3.26  定礎式挙行
 昭和32.6.6  湛水式挙行(6月9日放流開始、9月1日本湛水開始)
 昭和32.7.21  コンクリート打設完了
 昭和32.11.26  竣工式挙行
 昭和34.1.18  鶴の湯温泉、湖畔への引き揚げ成功
 昭和34.5  満水に到達
 昭和55.3  第二号取水施設完成


 なお貯水池築造にあたり、計画当初の候補地は丹波山・川野麦山河内・水根(みずね)・中山(なかやま)・梅久保(うめくぼ)・数馬(※1)・古里(こり)の9地点であった。
 このうち数馬・古里は商業中心地や行楽地・景勝地を水没させるため、また丹波山・川野・麦山は流域面積が狭いため、中山・梅久保は堰堤敷に断層が存在するため候補地から外れた。
 のち河内が適当として事業認可の手続きを行っていたが、地質調査により水根付近のほうが立地に優れていたため、この地点に建設されることになった。

 なお移転世帯が生じた地区は以下のとおり(一部移転も含む)。

・原(はら)
 熱海出野・原湯場

・河内(こうち)
 河内河内向川崎あずまい(あづまい)

・川野(かわの)
 麦山本田大づく(大津久)川野すそおり青木矢久(箭弓)・庄の指(しょうのさす)岫沢日指

・留浦(とずら)
 小留浦・留浦・坂本(さかもと)・雨降(あめふり)

・丹波山村
 鴨沢
(かもさわ)

・小菅村
 金風呂
(かなぶろ)

 移転世帯数は、小河内ダム事務所資料より昭和32年現在で945。移転先の内訳は以下のとおり(市町村名は現在のものに変更した)。

・東京都
 町内230(うち旧小河内村地内135)・青梅市97・羽村市25・福生市57・日の出町15・昭島市147・立川市73・八王子市55・都区部34・その他51

・山梨県
 丹波山村63・小菅村6・八ヶ岳19(※2)・その他6

・埼玉県
 入間市27・その他6

※1 檜原村の数馬(かずま)地区のことだろう
※2 原文ママ。高根町【現・北杜市】清里付近か


 ダムサイトの「奥多摩水と緑のふれあい館」の敷地には、水没地から移設した多数の石造物が置かれている(写真3〜)。それぞれの元の位置は不明だが、解説により推測が可能なものもある。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 ダムサイトの「湖底の故郷」の歌碑(右)とその由緒の碑(左)

写真3 石造物群(奥多摩水と緑のふれあい館にて)

写真4 徳富蘇峰の詩碑(同)

写真5 松尾芭蕉の句碑。ただし芭蕉が当地を訪れたという確証はなく、詳細は不詳との由(同)

 

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